『英雄の独白』

 

 僕がこうして文章を書きつらねることには、きっと意味はない。
 ここにあるのは、心の澱を吐き出さずにはいられない過剰な自意識だけだ。
 ただ、もしもこの独言を読む人がいて、その人が僕の声を少しでも感じ取ってくれたの
ならば、それに勝る喜びはないと思う。
 

 何から書き始めればいいのだろうか。
 ……そうだ、まずは僕が何者なのかを知らせるべきだろう。
 僕は、正義の味方だ。
 おかしいだろう? 笑ってくれて構わない。
 ああ、さらに言うならば、僕は正義の味方なんじゃない。正義の味方「だった」んだ。
 僕はもう、「悪の組織」と戦うことをやめてしまった。
 

 今から二年前のある日、僕は目覚めたとき、古ぼけたアパートの一室にいた。
 そのとき、僕は目覚める前の記憶を全く持っていなかった。俗に言う記憶喪失というや
つだ。ただ一つ救いなのは、社会常識についての知識だけは残っていたことだった。
 ここはどこで、僕は誰なのか?
 見知らぬ場所に一人で、しかも記憶を失ったまま放置された僕は混乱したが、その混乱
は突如鳴りだした玄関の黒電話の音によって遮られた。
 僕が電話を取ると、電話口の人物は、エコーのかかった中性的な声で喋りだした。
 その人物は、自らのことを正義の味方だと名乗り、僕がどんな状況に置かれているのか
を説明し始めた。
 彼(もしくは彼女)曰く、僕は悪の組織に改造され、人ではない異形の者へと姿を変え
る力を付加されてしまったらしい。本来ならば、その力を持つものは改造と共に洗脳を行
われ、人としての自我を失ってしまうのだが、僕の場合、洗脳の前段階である記憶消去の
最中に助け出されたがために、こうして、自分がどこにいるのかも、何者なのかもわから
ずに、誰ともわからぬ相手の妄言じみた説明を聞く羽目になっているのだという。
 もちろん、僕はこの話を信じなかった。記憶喪失の人間が言うのもおかしな話だが、常
識的に考えて、あまりにも荒唐無稽な話だったからだ。
 しかし、数分もたたないうちに、僕は考えを変えることになった。
 彼(もしくは彼女)は僕に、特定のポーズをとった上で『変身』と叫べ、それで全てが
わかると言った。僕はしぶしぶ従った。受話器を置き、言われるがままに腕を動かし、『変
身』と一言呟いた。
 その瞬間、全身が眩い光に包まれた。反射的に目を閉じた。全身の血管が膨張するよう
な感覚に襲われ、目を開けた。
 それまで意識していなかったが、電話の奥には柱があり、そこにはちょうど僕の目線に
合うように鏡が掛けられていた。そして、僕が鏡の中を覗き込むと、人間ではないものの
顔が写った。
 驚いた僕は慌てて受話器を持った。戸惑い、質問を投げかける僕の声もろくに聞かずに、
彼(もしくは彼女)は語りだした。
 「本来ならば正義の味方の組織の本部で手厚く保護するべき、悪の組織の被害者である
君をアパートなどへと運びこんだのは、改造人間である君の体には発信機が埋め込まれて
いる可能性があり、うかつに本部へ運び込めなかったからだ。現段階ではその可能性を否
定しきれないので、当面はそのアパートで暮らしてくれ。生活費はこちらで支給する。た
だし、その代わりとして、君には我々に協力してもらう」
 こんな趣旨のことを言われたように思う。
 僕はしばらくの間自分の置かれた状況について考え続け、いくつかの質問をした。しか
し結局、他にどうすることもできず、僕はこの話を引き受けた。
 僕に課せられた協力内容は、「洗脳された改造人間を倒せ」というものだった。


 そして、僕が正義の味方になってから、三カ月ほどが過ぎたある日の話だ。
 洗脳された改造人間――怪人は、一週間に一度程度の頻度で現れ、このころには僕は十
二人もの怪人を倒していた。初めの頃は自分の持つ力に戸惑いと、自分に近い境遇にある
怪人を倒すことへの罪悪感から悩み続けた僕ではあったが、この頃にはもう悩むことも減
り、普段は平穏に日常生活を送れるようにもなっていた。ところで、怪人は町中に現れる
ことが多かったのだが、ニュースで事件として取り上げられていなかったところを見ると、
怪人に関する情報には、報道規制が入っていたらしい。
 さて、そうして生活を送っていた僕の所に、初めて人が訪ねてきた。
 訪ねてきたのは若い男だった。きっと、僕と同じかそれより少し若いくらいだろう。
 僕はこの男を見て、直感的に正義の味方の一員が何か情報を持ってきたのではないかと
思った。しかし、それは違った。彼は隣の空き家に引っ越したがために、挨拶回りに来た
らしい。
 僕は例の電話口の人物から、人との接触は極力避けるように言われていたので、あたり
さわりのない話だけをして、彼には帰ってもらった。
 夜になると、眠る準備をしていた僕の耳に、どこからか音楽が響いてきた。窓の外を覗
くと、昼間をしにきた挨拶に来たあの男が、自室でピアノを弾いているのが見えた。それ
はとても綺麗な音色で、このときから僕は、毎晩流れてくる彼の演奏を聴きながら眠るよ
うになった。


 そして次は、僕が正義の味方になってから、六カ月ほどが過ぎたある日の話だ。
 悪の組織の幹部が、戦闘に現れるようになった。奇妙な仮面とマントを付けたその人物
の影響なのか、それまで町の破壊だけを目的とするかのように動いていた怪人たちが、僕
を倒すための作戦を立てるようになった。
 戦闘は激化した。僕は新たな力を身につけることを求められ、それには苦痛が伴った。
 そうした中で僕の心を癒してくれたのは、隣の家から聞こえてくるピアノの音だった。
 引っ越してきた男と僕は、ほとんど会話をすることがなかった。せいぜい、すれ違った
り目が合ったりした時に、会釈をしたり手をあげて挨拶をしたりするくらいだった。
 それだけの関わりが、人を遠ざけて暮らさなければならない僕にとっては大切なものだ
った。
 彼の奏でる音楽を聞くたびに、僕は人々を、そしてこの音色を守るために戦い続けよう
と決意を固め直した。
 ガラス二枚向こうの平和な世界は、僕には手に入れられない眩しいものであり、同時に、
僕が僕として戦い続けるためには、決して欠かせないものでもあった。


 しかし、僕が正義の味方になって一年程経ったある日、全ては変化してしまった。
 僕はついに、戦いの中で悪の組織の幹部を倒した。その人物は、自らの体を改造し、僕
に戦いを挑み、そして、死んだのだ。
 怪人は、変身したまま死んだとしても、完全に息絶えた瞬間に人間の姿に戻る。きっと
僕もそうなのだろう。そして、この人物もそうだった。
 僕は、その死体の顔を見た。
 その顔は、隣の家に住む男のものだった。
 彼は、悪の組織の幹部だったのだ。
 僕は、彼を殺してしまったのだ。


 そうして僕は、正義の味方であることをやめた。
 結局、正義の味方の組織の本部には行くこともなく、僕と彼らの縁も切れた。
 ひとつの悪の組織を壊滅に追い込んだことを評価され、僕は正義の味方の本部に迎え入
れられる予定だったらしいが、断った。そのかわりとして、莫大な額の報奨金を本部から
受け取った。
 僕はそのお金を使って、郊外に家を持ち、そこにピアノを引き入れた。いまでは毎日そ
れを弾きながら日々を送っている。
 僕はいまだに考えている。
 僕は本当に、「正義の味方」だったのかということを。
 彼が本当に、「悪」だったのかということを。
 僕には決して手に入らないものを、彼が持っているのだと思い込んでいた。
 でも、彼も僕と同じ、「こちら側」の人間だったのだ。
 正義も悪も関係ない、「人殺し」の一員だったのだ。
 僕は毎日ピアノを弾きながら、彼が何を考えていたのかを考え続けている。
 彼と同じ行動をとれば、同じ曲を弾けば、それがわかるんじゃないかと思ったから。
 僕は知識を身に着け、彼が好んで弾いていた曲が、「別れの曲」と名付けられたもので
あることを知った。
 もしかしたら、彼のピアノは死んでいった怪人たちへと捧げられていたのかもしれない
。だとしたら皮肉だ。死者への哀悼が、新たな死者を生み出すものの心を癒していたのだ
から。
 僕の記憶は戻らなかった。「正義の味方」の組織というものが、何であったのかもわか
らない。「悪の組織」が、本当に悪であったのかもわからない。
 ただひとつ言えるのは、僕がこれからも、この家でピアノを弾きながら生きていくであ
ろうということだけだ。
 ……さて、まだ書きたいことは尽きてはいないのだが、いまこの家に珍しく来客があっ
たらしい。出迎えなければならないから、僕はひとまずここで筆を置く。続きは、またあと
にしよう。


 きっと、その「あと」というものは、僕にはもう訪れないのだろうけど。


 

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