『涼宮ハルヒの不在』

 

 涼宮ハルヒが風邪をひいた。
 あいつが体調を崩すなんてことは天変地異が起ころうともあるはずがないだろうと思ってい
た俺としては実に意外なことなのだが、どうやらこれは事実らしい。
 いささか複雑な表情で担任が伝えた通り、ハルヒの席には誰も座っていなかった。
 まあ、今年の冬はインフルエンザが流行しているらしいから、もしかしたらそれかもしれん。
あいつも一部特殊な連中に神だなんだと言われてはいるが、所詮は人の子だったということだ。
 ――と、ここまで考えて、俺の背筋に冷たいものが走った。
 もしかするとあいつは学校には風邪をひいたと嘘をついて授業をフケて、また何か周囲を巻
き込む妙な悪巧みをしているのではないだろうか。もしそうだとしたら、俺を含むSOS団の
連中は、早晩ハルヒからの呼び出しをくらうことになるのだろう。現実的解釈としてこの可能
性は限りなく高い。もしもこのクソ寒い時期にまた屋外で野球の試合をするとでも言いだした
日には、俺は全力で拒否権を行使するね。
 しかしまあ実際のところ本当にハルヒが何かをたくらんでいるかどうかなんてわかりやしな
い。あいつが今どんな状態にあるのかを知ることは、完全密封性の箱の中に閉じ込められた哀
れな猫の生死を判別することよりも難しいだろう。
 ただ一つわかっているのは、今日という日が凉宮ハルヒ不在の一日になるだろうということ
だけだった。
 そしてトラブルメーカーを欠かした状況での授業は実にスムーズに進み、俺は何をしたとい
う実感も持てないままに放課後の訪れを味わっていた。授業の内容なんざ一切記憶に残っちゃ
いない。
 ちなみに昼休みにはアホなクラスメイトが、お前ら今度は何するつもりだよ、と飯粒を飛ば
しながら頓狂なことを訊いてきたりもしたのだが、そんなことはもう忘れてしまおうと思う。
というかハルヒのすることに全て俺が関わっていると考えるのはやめろ、谷口。
 とまあ些末ないざこざがありはしたが、凉宮ハルヒを欠かした一日は平穏なままに幕を閉じ
るのであろうと俺は考えた。
 しかし、それがとんだ勘違いであったことを、俺は間もなく気付かされることになる。
 一人の超能力者の手によって。


 ハルヒが学校にいないということは俺は放課後の自由を約束されたということで、別にSO
S団の面々に会いに行く必要はないわけだが、俺の足はなぜかいつも通りに文芸部の部室へと
向かっていた。
 なぜか、なんていう迂遠な言い回しをしたが、理由は単純明快、凉宮ハルヒの欠席を告げ面
々に今日は部室に残る理由が無くなったということを伝え、ついでに朝比奈さんの入れた茶を
飲んでから気分よく帰るためだ。いや逆か。ハルヒのことは茶のついでだ。
 俺は文芸部室の前に立ち、扉をノックする。普段通りならこの時間は朝比奈さんがメイド服
に着替えてスタンバイしているはずだ。俺はあの甘い声で「はぁい」という言葉がかけられる
ことを期待して返事を待っていた。
「どうぞ、開いていますよ」
 するとしばらくして聞こえてきたのは期待していた言葉ではなく、それどころか発言者の声
まで違った。
 俺はドアを開けて部室に入った。
 雑然とした文芸部室。本棚には長門の蔵書や古泉のゲームコレクション、ハルヒのガラクタ
が所狭しと並べられている。中央に固められた机の上にはかつてPC研から戦利品として頂戴
したノートパソコンが載っている。壁際にはハンガーに掛かった朝比奈さんのコスプレ衣装だ
。昨日と比べて変化はない。
 そして、部屋の中には、窓辺でたたずむ古泉の姿だけがあった。その他に人影はない。
「なんだ、お前しかないのか」
「ええ、朝比奈さんと長門さんのお二人は用事があるとかで帰られましたよ」
 古泉は微笑を浮かべながら答えた。
「長門までいないとは珍しいな。ああ、それからこっちもハルヒが休みだ。風邪らしい」
「おや、それは心配ですね」
「いや、あいつのことだ。どうせ仮病を使って家で妙な計画でも立てているんだろ」
 古泉が気障な笑い声を洩らす。
「なるほど、確かに、あなたの言う通りかもしれません」
 凉宮さんも休みならば、と古泉は続ける。
「今日は僕たち二人だけということになりますね」
「残念ながらな」
 心底そう思いながら、精一杯の情感を込めて俺は言ってやった。ハルヒが休みだと分かった
からには、俺は朝比奈さんの入れたお茶を飲むためだけにこの場所を訪れたといっても過言は
ないというのに、まったくもって期待外れだ。
「つまらん、俺はもう帰る」
 踵を返し部屋を出ようとすると、背後から声をかけられた。
「まあまあ、そう言わずに、少しだけ僕に付き合ってくれませんか」
「内容にもよるぜ。」
「こんな機会は滅多にないですからね。邪魔の入らない状況でゆっくりと対局してみたいと思
いまして」
「なんだ、ゲームのお誘いか」
 あまり気乗りはしないな。
「そんなこと言わずにお願いします。今日はあなたに話しておきたいこともありますし」
 話しておきたいこと、か。さて、なんだろうな。こういうときは誘い文句より後付けの言葉
の方が本題ってことが多々あるからな。気を引き締めるべきなのかもしれん。
 俺はしばし考えた。そして、
「別にいいぜ、何で勝負するんだ。将棋か度、それとも囲碁か?」
 一局と聞いて思い浮かんだボードゲームの名前を挙げた。
 古泉は一瞬視線を逡巡させる。
「そうですね……いえ、今日はチェスにしましょう」
 ああ、そういやチェスも一局と言わなくもないか。
「別にいいぜ」
「それから、今日は少し変わった賭けをしてみませんか?」
「なんだ、言ってみろ」
「勝者は敗者に、一つだけどんなことでも命令できるというのはどうでしょうか?」


 折りたたみ式の簡易チェス盤が机の上に広げられた。
 古泉の前には白、俺の前には黒の駒が並べられる。
 俺は古泉の提案を飲み、互いの命令権を賭けた一勝負を行うことにした。
 この気障野郎の意図はわからんが、まあこれまでの勝率を考えたらます負けんだろうし、せ
っかくの機会だ。俺が勝ったら帰りに飯の一つでも奢らせるとしよう。
「それでは、お相手願います」
 試合開始だ。まずは古泉がクイーンの前のポーンを動かす。初手としては妥当なところだろ
う。俺も同じようにポーンを前進させた。
 始めの数手は無言で指された。互いに気合が入っていたのかもしれないな。
 互いに下級兵士を前に進めて、上級兵の活躍の場を作ろうと画策する。
 沈黙を破ったのは、古泉の突拍子もない一言だった。
「僕たちをこれらの駒に置き換えるならば、涼宮さんが女王で、あなたが王ということになる
のでしょうね」
 いきなり何を言い出すんだろうな、こいつは。
「ずいぶんと荒唐無稽な比喩だな」
「そして僕などは敵地に乗り込み倒される、この一兵卒といったところでしょうか」
 ポーンが前進させられた。
 どうも古泉はこの話をもう少し続けたいらしい。なるほど、さっき言っていた話したいこと
っていうのはこのことか。
 ……そうだな。
 俺はナイトでポーンを撃破する。
「そのたとえで言うなら、お前の役割は騎士だろ。女王の命令を遵守してトリッキーな働きを
しやがる」
 さらに言うなら、朝比奈さんがビショップで長門がルークだな。朝比奈さんの可憐さはそこ
らの聖職者より神聖なオーラをかもしだしているし、長門は異変からSOS団を守る絶対不落
の強固な城だ。
「そう、なるのでしょうか」
 謙遜するなよ。
「いえ、そうではなく不安なのですよ。僕が本当に課せられた役割を果たせているのか、これ
からも担っていけるのかとね」
 気にすることないんじゃないか。おまえはよくやってるよ。若干やりすぎだと思うくらいに
な。
「そう言っていただけると、嬉しいものですね」
 古泉の言葉は明るいが、表情にはどこか影がある。ああくそ、面倒だな。
「俺らは、盤上の駒なんかじゃねえだろ。無理してハルヒのわがままに付き合ってやる必要な
んかないんだ。お前はお前のしたいようにすればいい」
 思いつくままに言ってやった。
 古泉は呆けたように軽く口を開いたまま沈黙している。こいつにしては珍しい表情だな。
「したいようにする、ですか」
 ああ、そうだよ。最近は長門だって自分の判断でPC研に顔を出してるんだ。お前の自由意
思が束縛される理由なんて何もないだろ。
「……確かに、あなたの言う通りですね」
 古泉は微笑する。
「おかげさまで、だいぶ気が楽になりました」
「そうか、良かったな」
ならさっさとゲームの続きをしようぜ。今はお前の番だ。
「ええ、わかりました」
 古泉はナイトを前進、積極的な攻勢に出た。
「ところで、我々SOS団員が上級役職を占めるのならば、あなたのご友人などの準団員達が
下級兵士ということになるのでしょうかね」
「だから、もうその話は別にいいだろ」
 そう言いつつも、俺は囮としてつい先程敵地に送りこんだ、次の瞬間には敵のビショップに
倒されるであろう哀れなポーンを、かつて映画撮影の際に池へと落ちた谷口の姿とオーバー
ラップさせてしまった。


 さて、結論から言おう。
 俺はゲームに負けた。
 何故だ?
「今回の駒の采配は、若干あなたらしくなかったですね。もしかして、先程の話のせいで駒に
情が移りましたか?」
 とは古泉の談だ。
 はっきり言おう。その通りだ。
 俺はSOS団の連中と駒を置き換える比喩を聞いたあとから、どうにも駒を自由に動かし難
くなった。特にビショップを撃破されることだけはきっと無意識の内に避けようとしていたの
だろう。
「というよりもむしろ、あなたの動きは女王を庇っているように見えましたね」
「それはお前の勘違いだ」
 もしもそう見えたのなら、俺はクイーンを庇っていたんじゃなく、暴走させたくなかっただ
けだ。現実のハルヒと同じようにな。
「たとえそれが本当だとしても、それだけ気にかけられている涼宮さんが羨ましいですよ」
 どうやらこいつは、何がなんでも俺がゲームに負けた理由を、「俺がハルヒを気遣っている
」からにしたいらしい。これ以上問答を続けても無駄だな。
「――で、お前はいったい俺に何をさせたいんだ?」
 たぶん、古泉が勝負を仕掛けてきたことには何か重大な意味がある。今までの会話も全ては
ゲームを有利に進めるための心理戦で、これから告げられる「命令」の内容こそが古泉の真の
要件なのだろう。さて、今度は俺に何をさせるつもりだ。どうせまたハルヒに関わることなん
だろ?
 俺がそうやって覚悟を決めていると、
「そうですね……」
 古泉はそれまで張り付けていた微笑を剥がした。
 そして言った。
「それでは、僕とキスをしてくれますか」


「なんだって?」
 すまん、今一瞬俺の耳はおかしくなってしまったようだ。
 キスとか何とか聞こえた気がするが気のせいだよな。
「いえ、それで合っていますよ」
 気は確かか?
「ええ、もちろん」
 古泉は普段のうすら笑いを止めている。今のこいつの表情は、見方によっては怒っているよ
うにも見えた。
「なんだって突然そんなことを言い出すんだ?」
 俺は訊いて当然の疑問を口にした。すると、
「突然、なんかじゃないんですよ」
 古泉は立ち上がった。俺も思わず椅子から腰を上げて後ろに下がる。
「あなたは今まで、全く気付いていなかったのですか?」
 何のことだ。
「この際だから単刀直入に言ってしまいましょう。僕は、あなたのことが好きです。冗談でも
やらせでもありません。本気です」
 眩暈がしたね。
 古泉はゆっくりと出入り口の方向へ歩き出す。俺は身構えつつもその場を動けずにいた。
「今日という日は、僕にとっての一つの転換期だったのですよ。朝比奈さんと長門さんには『用
事』があり、凉宮さんも学校に来ていない。それ以外の条件も含めて、僕があなたが誰にも邪
魔をされずに二人きりで会話できそうな日はほかにはなかった」
 古泉は扉の前で立ち止まった。
「僕は自身の本心をあなたに語るべきか迷っていた。だから、語るための条件を自分の中でふ
たつ決めていた。ひとつは、あなたがゲームの誘いと賭けに乗り、僕がそれに勝利すること」
 扉を施錠する音が、部室の中に響いた。
「そしてもうひとつは、僕が決心するための言葉をあなたの口から聞くということ」
 どういうことだ?
「僕たちは盤上の駒なんかじゃない。お前はお前のしたいようにすればいい。……どちらも、
僕が心の底から言われることを望んでいた言葉でしたよ。僕はね、絶望していたんです。敷か
れたレールの上を走り、求められた役割を果たす現状にね」
 絶望だって? お前も今まで楽しんでいたじゃないか。
「表面上はそう見えたのかもしれませんね。あなたは僕に対してほとんど関心を持ってくれま
せんでしたから。ですが、自分の意志を押し殺して、自分の感情を隠したまま仲良しグループ
の輪に加わることがどれだけの苦痛か、あなたに想像できますか?」
 電気のスイッチが押される。部屋の照明が消えた。
「僕としては、これはギリギリの賭けだった。心情的にも条件的にもね。僕は賭けに勝った。
運命に打ち勝ったんです。戯曲ハムレットにおいて、ギルデンスターンは為す術もなく与えら
れた役割のままに死にました。しかし僕はもはや、自分の心を押し殺すつもりはありません」
 部屋の中は暗い。窓から入る夕暮れの陽光だけが光源だ。古泉がこちらに歩いてくる姿がシ
ルエットとして見えた。
 文化祭の演劇を思い出す。ギルデンスターンとはこいつが演じていた役だ。そいつの死が、
いったいお前とどう関係あるんだ?
「もう一度言いましょう。僕はあなたのことが好きです。出会った当初から、どうしようもな
いくらいに魅かれていた。決して結ばれることがないとわかりながらも、この気持ちを抑える
ことができなかった。せめてキスだけでもと願うことが、どうしていけないのでしょうか」
 古泉の手が伸ばされる。
 そして、その手が俺に触れようとしたとき、
「ふざけんじゃねえ!」
 俺は、あらんかぎりの力を込めて、そう叫んでいた。
「好きだから、自分の気持ちを押し殺せないからキスをしろ、だと、意味がわからん。俺の意
志はどうなるんだ。お前のしていることは、SOS団員を無理矢理集めたときのハルヒと同じ
か、それ以下の行為だ」
 そうだ、ハルヒはここ数カ月で大きく成長した。お前はどうなんだ、古泉。あいつの変化を
見て、お前は何も感じなかったのか?
 何故お前は、そんな方法を取ろうとするんだ?
 いや、そもそも――
「なんでお前は、俺のことを好きになったんだ」
 他の誰でもなく、俺なんかのことを。
 古泉の影が揺れた。
「そんなこと、僕にもわかりません」
 声が震えていた。
「僕だって、始めは勘違いだと思いました。勘違いであって欲しかった。好きになったのが涼
宮さんや朝比奈さん、あるいは長門さんであればよかった。そうであれば、僕は女王を守る忠
実な騎士として、役割をまっとうすることができたはずです。しかし現実は違った。僕が好き
になったのは、守るべき対象である女王の伴侶として存在するあなただった。それなのに、僕
は涼宮さんを喜ばせるために、彼女とあなたの仲を取り持つための行動をしなければならない
。この矛盾を、僕はどう解消すればいいのですか?」
 喉の奥から搾り出すような声。
「涼宮さんがいなければ、僕は悩むことはなかった。けれども、彼女がいなければ、僕はあな
たと出会うこともなかった」
 ――涼宮ハルヒの不在。
 古泉はうつむく。その頬を、何か輝くものが流れたような気がした。
「何もかもが思い通りにならないのならば、いっそ――」
 両腕が迫ってくる。俺は動くことができなかった。
 両手が首に触れた。ゆっくりと力が込められる。万力を締め上げるような遅さで。
 その指先は、凍るように冷たかった。
「くっ!」
 俺は腕を振り払った。驚くほど簡単に首から手が離された。
 古泉は動かない。俺もそれ以上動くことができなかった。
 何もかもが静止したままの時間が永遠とも感じられるほどに続いて、俺はその間ひたすら考
えていた。
 ――古泉は、どれだけの覚悟をもって俺に今の言葉を伝えたのだろうかと。
 言っていることは支離滅裂で、一言だって理解できた気がしない。俺のことが好きだという
のも本当かどうかわからないし、本当だったとしても答えることなんかできやしない。
 だけど、こいつの態度は尋常じゃなかった。この事態を解決するために、俺に何かできるこ
とはないのか?
 そう考えて、俺はひとつの解決策を思いついてしまった。
 出来ることならば使いたくない策だ。俺は古泉を見た。
 身動きひとつせずに、目を合わせようともしないで立ち尽くしていた。
 きっと俺にはもう、この策を使うことしかできないのだろう。仕方がない。俺がゲームに負
けた事がこの出来事の発端なのだろうからな。
「古泉」
「……なんでしょうか」
 間は空いたが応えがあった。俺は用意した台詞を口に出すことにする。
「……俺はいまから一分間だけここで眠る。一分間だけだ。今日はいろいろあって疲れたから
な。寝ている間に何が起ころうとも気付かないはずだ。だから、いまから一分間、お前が何を
しようとも俺にはわからないってことだ。いいな、わかったか」
 俺は返事を待たないまま手近な椅子に座り、目を閉じた。
 野郎にキスするなんざ、死んでもできやしない。だが、眠っている最中にされてしまったの
なら知ったことじゃない。
 これが俺なりの策、つまりは責任の取り方だ。俺はこのまま何事も起きないまま一分が経過
することを切に願った。もしも何かが起きても、俺はそれをおくびにも出さないつもりだった

 しかし、十秒も数え終えないうちに唇に何か柔らかいものが当たったとき、俺は思わず眉を
きつくしかめてしまった。


 一分が経過して俺は瞼を開けた。
 目前には、微笑する古泉の顔があった。
「今日という日は、僕にとっての記念すべき日となりました」
 知ったことか。まずは顔をもっと離せ。
「失礼しました」
 溜息と共に視線を外にやると、既に太陽は没していた。


 暗くなった坂道を二人で下る。
 定間隔に設置された街灯が道を照らしていた。
 イライラを募らせている俺とは裏腹に、古泉は先程の勢いはどこに行ったのかと思うような
上機嫌さで歩いていた。
「家に帰ったら、風邪で寝込んでいる涼宮さんにお見舞いの電話を入れた方がいいですね」
 古泉が言った。それだ、俺がいま気になっているのは。
 お前はさっきの大層な演説で、ハルヒが学校に来ていないことを始めから知っていたような
言い方をしていた。
 もしかして、今日のことは全て何らかの意味を持って組織とやらが仕組んだことだったんじ
ゃないのか?
「さて、どうでしょうね。どんな説明をしても、あなたは納得しないでしょうし。いっそのこ
と、全てが僕の冗談だったことにしてはいかがでしょうか。それが一番穏便に済むはずです」
 ふざけるな。あれだけのことをしといて冗談で済ませようとするんじゃない。
「まあもちろん。僕があなたを好きだということは、疑いようのない真実ですが」
 俺は言葉を返せなくなった。
 結局のところ、こいつの真意がどこにあるかなど、わかることはないのだろう。
 微笑む横顔を見る。その首にはマフラーが巻かれていた。
 俺は斜め後ろから、首とマフラーの隙間に思いっきり手を突っ込んでやった。
「なっ――!」
 声にならない呻きが漏らされる。古泉がこちらを見た。
「さっきの仕返しだ。馬鹿」
 古泉は何か言いたそうな顔をしたが、思わせぶりな溜息をついて結局黙って歩き続けた。
 そうさ、考えたってどうにもならないんだ。今回のツケはこれでチャラにして、さっさと記
憶から抹消してやるさ。
 俺は自分の手を見る。
 先程触れた古泉の首筋は、思ったよりも暖かかった。
 それだけのことが、妙に俺の心に残った。


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